中山道御嶽宿(なかせんどうみたけじゅく)の説明かんばん

2018.6.7 みたけ (80) 「中山道御嶽宿」 1020-900
中山道御嶽宿(なかせんどうみたけじゅく)
御嵩町(みたけちょう)元町
1600年9月、関ヶ原のたたかいに勝利した徳川家康はただちに宿駅伝馬制(しゅくえきてんませい)へと着手し、1602年には中山道すじでもいちはやくここ御嶽宿に「伝馬掟朱印状(てんまおきてしゅいんじょう)」をくだしたことから、重要な拠点とみなしとったことがうかがえます。
御嵩宿は江戸から49番めのしゅくばにあたり、天保年間(1831年から1845年)の「中山道宿村大概帳(なかせんどうしゅくむらたいがいちょう)」には、宿内まちなみ4町56間(およそ540メートル)、いえのかず66軒(うち、はたごや28軒)、このほか本陣、わき本陣が各1軒、といやば(問屋場)、こうさつば(高札場)などの存在が記載されております。
しゅくばはにしはしの天台宗の古刹(こさつ)大寺山願興寺(おおてらさんがんこうじ)からかぎのてをぬけてひがしへとつづき、大名や公家あるいは一般庶民の通行とともに、情報や文化の交流するばしょとしておおいににぎわいました。
御嵩町御嵩町観光協会
(80) 「中山道御嶽宿」

2018.6.7 みたけ (81) 御嶽宿の地図 1680-1880
中山道ぎふ17宿
江戸日本橋から京都三条大橋まで69宿[135里24町8間(およそ532キロ)]。この中山道の4分の1相当(およそ128キロ)が美濃国、、、
御嶽宿
中山道49番めのしゅくばとなる御嶽宿(みたけじゅく)は、大寺山願興寺(おおてらさんがんこうじ)の門前まちとしてさかえ、1602年、中山道のしゅくばのなかでもいちはやく整備されると、、、
(81) 御嶽宿の地図

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2018年6月なのか、おとずれた。