2018年7月むいか、出雲大社におまいり。まつの参道のわきのとうろうで記念さつえい。
フラッシュに佐藤美希さん登場 - 2018年7月にじゅうよっか、31日合併号
△ フラッシュ - 2018.7.24・31号(ちゅうにち 2018.7.8)
NHKのワールドカップ中継で司会をやっとる佐藤美希さんが、フラッシュ2018年7月にじゅうよっか、31日合併号にでとる。
トヨタかぶぬし総会 - 2018年6月じゅうよっか
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- トヨタかぶぬし総会 - 豊田社長ら再任 - はつの女性とりしまりやくも:朝日新聞デジタル(山本知弘さん)|2018年6月14日12時21分
- トヨタ自動車の株主総会が2018年6月14日、愛知県豊田市の本社であった。質疑の后、トヨタ初の女性を含む9人の取締役を決める議案などが決議された。豊田章男社長(62)を経営トップとする体制は10年目に入る。
- 社外取締役として三井住友銀行の工藤禎子常務執行役員(54)や、前経産事務次官の菅原郁郎氏(61)を新たに経営陣に迎える。
- 豊田章男社長は冒頭で「100年に一度の大変革期。未来のモビリティー社会を、株主のみなさまと築いていきたい」とあいさつ。質疑のなかでも「経営者は常に変化を起こさないといけない」などと述べ、競争力の維持向上に向けた取り組みを、自らリードする考えを強調した。
- 総会には過去最高の5,258人の株主が出席。オリンピック・パラリンピックへの関わり方や役員登用の基準、電動化への考え方などについての質問が出た。
「重要文化財願興寺本堂保存修理工事について」
大寺山願興寺(おおてらさんがんこうじ)について
願興寺は旧中山道御嶽宿*1にある天台宗寺院で、大寺山って号し、ふるくから蟹(可児)薬師のなでしたしまれ、ひろく民衆の崇敬をあつめてきました。
てらの草創は、寺伝(じでん)によれば伝教大師(でんぎょうだいし)*2東国下向(とうごくげこう)のみぎり、この地にとどまり、小堂を建立し、自作の薬師如来像をまつったことにはじまるっていわれております。
当初の伽藍(がらん)は、1108年に兵火によって焼亡しましたけど、貞治(じょうじ)(1362年から1367年)、応永(おうえい)(1394年から1427年)ごろには諸堂が再興されました。しかし1572年には武田信玄の兵火によりふたたび焼失し、1581年に本堂のみが再建されました。
現在の本堂はこのときのもんで、近在の百姓、玉置興次郎と市場左衛門太郎の2名が発願(ほつがん)し、近隣のひとびとから浄財をあつめて建立したっていいます。
たてもんはけたゆき7間、はりま5間、よせむねづくり、鉄板ぶきの大規模な本堂で、正面に縁と1間の向拝(こうはい)をもうけております。平面は周囲1間どおりを開放とするめずらしい構成で、意匠は正面には注力しておりますけど、ほかの部分は簡略化されており、使用されとる材料には、寺院にはあんまりもちいん、まがったはしらなどがみられます。
有力な施主をもたず、造営費用に苦心しながらも民衆がちからをあわせて建立したたてもんであることがようわかります。
保存修理工事について
願興寺本堂は、やねのふきかえなど、これまでにいくどもの修理をおこなってきましたけど、再建からおよそ430年が経過し、もはやちいさな修理ではおいつかんほどたてもんの破損が進行しておりました。
ほのため、くに、岐阜県、御嵩町の補助をうけ、総事業費12億8,500万円をかけて、2017年11月より、保存修理工事をおこなうこととなりました。
こんかいの修理は「解体修理」で、たてもんをいったんすべて解体し、補修してくみなおす根本修理です。いたんどるふるい材料は、あたらしい材料にとりかえるもんもありますけど、できるだけ修理してもとのばしょにつかうことにしております。また、部材の加工やくみたてのさいにも、原則としてにほんの伝統工法をもちいます。
通常の新築工事とくらべるとてまがかかるため、工事期間はのべ105か月(8年9か月)を要し、完了は2026年7月31日となる予定です。
工事は、2018年度に本堂全体をおおう鉄骨の「すやね(素屋根)を建設し、ほのあと2019年度から解体にとりかかる予定です。
(101) 願興寺 - 「保存修理工事について」
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2018年6月なのか、おとずれた。
「亜炭産業の盛衰」 - 中山道みたけ館
亜炭産業の盛衰
亜炭(あたん)はおよそ2,000万年まえの植物が堆積(たいせき)し、炭化した石炭の一種ですけど、石炭ほど炭化度がすすんでない、いわゆる褐炭(かったん)の部類にはいるもんです。光沢のない黒褐色で含有水分がおおく、堆積のきめにそってはがれやすく、発熱量もひくいっていう性質を有します。
亜炭は1869年に燃料となることがわかって以来、家庭や工場で使用されるようになり、第2次世界大戦前后には需要が急速にのび、この地域の重要産業となって鉱山のかずも爆発的に増加しました。しかし、乱掘による悲惨な事故もあいつぎ、くわえて燃料革命による液体燃料への変換がすすんだため、衰退することとなりました。
(83) 中山道みたけ館 - 「亜炭産業の盛衰」
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2018年6月なのか、おとずれた。
「しゅくばをたすけたすけごう」 - 中山道みたけ館
しゅくばをたすけたすけごう(助郷)
街道のしゅくばに常備された人馬の使用のみではつぎおくりできん通行があったばあい、しゅくばに人馬を提供して援助するよう周辺の農村に命じたものをすけごう(助郷)っていいました。中山道でのすけごうのはじまりは1603年、奉行大久保石見守長安(おおくぼいわみのかみながやす)が御嶽宿(みたけじゅく)へだした「伝馬定書(てんまさだめがき)」(野呂家(のろけ)文書)の下付(かふ)っていわれております。
幕府は1694年、参勤交代の制度化にともなう輸送量の増加のためすけごう制(助郷制)をさだめました。
地図=伏見・御嶽・細久手宿すけごうむら(助郷村)(1694年)
(82) 中山道みたけ館 - 「しゅくばをたすけたすけごう」
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2018年6月なのか、おとずれた。